施食会=食を施す会。つまり浄土(仏教での天国)にいる霊に食べ物などを御供えし、弔う法要です。
今でこそ、食べることに困ることはまずありませんが、遙か昔のご先祖さまにとって、食べることはすなわち生きることであり、また地震や台風などの天災によって飢えや疫病に苦しむこともありました。
天国に昇ったご先祖が、食べるものに困らないようにしてあげたいという思いで、人々が食べ物を持ち寄って祈りを捧げる儀式は古くから日本にありましたが、曹洞宗では施食という形で法要を行っています。
施食で祈りを捧げるのは、ご先祖さまへだけではありません。いまの自分が生きていられるのは、たくさんの食べ物から「命」をいただき、また、たくさんの人々(命)に支えられているからに他なりません。
我が身を支えてくれている多くの生命に感謝するという意味も施食には込められています。
お釈迦様の弟子で、「木蓮尊者」という方がいました。
木蓮尊者には「神通力」がありました。
ある日、亡くなった母親があの世でどうやって暮らしているか神通力で見てみることにしました。
すると、母親は食べることも呑むこともできない苦しみの世界で暮らしているではありませんか。木蓮尊者は、神通力で水や食べ物を母親に与えようとしますが、すべてその場で燃えてしまい、なすすべがありません。
悲しみに暮れた木蓮尊者は、お釈迦様にそのことを相談しました。
するとお釈迦様は次のように説かれました。「木蓮の母親は、生きているとき、物を出し惜しみして皆に施すことをしてこなかった。そのため、いまあの世で苦しんでいるのだ」
木蓮尊者は、どうしたら母親を救うことができるかお釈迦様に尋ねました。お釈迦様は、「木蓮。あなたが、多くの僧を招き、たくさんのお供えをし、母や、母のようにあの世で苦しんでいる人達のために法要をしなさい」と説かれました。
木蓮尊者は、お釈迦様の教えに従って供養祭を営みました。すると母親は苦しみの世界から解放され成仏しました。